判例

労働判例の読み方「労災・自殺」【岐阜県厚生農協連事件】岐阜地裁平31.4.19判決(労判1203.20)

0.事案の概要

 この事案は、病院の事務員として働きながら、ライフル競技の選手活動を行っていた従業員の死亡に関し、その遺族らXが病院Yの責任を追及した事案です。Yは、責任があることは認めつつ、従業員の側にも問題があったとして過失相殺を主張しましたが、裁判所は、Yの主張をほぼ全て退けました。

1.Yの責任の自認

 会社側が、自殺した従業員の業務遂行状況を適切に管理すべきであったことについて、最初からその責任を認め、過失相殺に議論を絞る、という訴訟遂行の方法は、少なくとも公刊された裁判例を見る限り、あまり例を見ません
 その背景はどこにあるのでしょうか。注目すべき点を検討します。
 1つ目は、Yの責任は免れないという判断があったように思います。これは、例えば会社側の責任が小さい事案について、従業員側に5割以上の過失割合を認定する裁判例が多く見られることからも理解できます。従業員側の過失の方が会社側よりも大きいのに、それでも会社側に過失がある、という評価は、理論的にそれが観念されるとしても、「過失」の一般的な判断構造から見ると、やはり違和感が残ります。それは、過失を構成する予見義務違反と回避義務違反の両方について、社会が一般的に要求する水準の義務の違反と言われるところ、被害者の過失の方がより大きい場合には、一般的に予見義務や回避義務を負うというのは、「過失」の本来の判断構造に合わないように思われるからです。
 けれども、例えば自動車事故でも、被害者側の過失割合が例えば8割や9割であっても、加害者の過失責任を認定しています。
 これは、不法行為による損害賠償のルールが、損害の公平な分担を目的にするものと位置付けられていることと関連します。すなわち、実際に発生してしまった被害者の損害について、たとえ1割や2割であっても責任があるならば、加害者のその分だけでも負担させることが「損害の公正な分担」に合致するからです。
 このように見れば、従業員を長時間勤務させ、その不調に気づかなかったYの管理責任は、先行する労基署の判断も見れば、免れないことが明らかです。
 そこで、どうせ認められてしまうなら、そこで無理に争って印象を悪くするよりも、本来の論点に議論を集中した方が、裁判所に与える印象や、訴訟に賭ける時間・手間の観点から、好ましい、と判断したように思われます。あるいは、裁判所がどうせ無駄だから、と議論を整理するように論点整理を主導したかもしれません。
 2つ目は、そうはいっても結局同じような判断がされている点です。
 例えば、この裁判例では、死亡した従業員の職務遂行能力の低さをYが問題にしていますが、裁判所はこの争点について、Yによる管理の不十分さを1つひとつ検証し、認定しています。つまり、死亡した従業員の過失の有無や程度を認定するためには、Yの管理の適切さも評価しなければならず、両者は相互に関係するのです。
 そうすると、最初にYの管理責任を認めたとしても、そこで議論されるべきYの管理の実態は、過失相殺の判断の中で詳細に検証され、認定されます。
 このように見ると、Yの管理責任の問題を争点にしなかったとしても、裁判所が行う作業や負担は大して変化なく、あまり意味が無いことになってしまいます。
 とはいうものの、争点が絞られるだけで議論が拡散しなくなります。さらに、死亡した従業員の職務遂行能力や職務遂行状況と、Yの管理状況を対比し、関連性を明確にしながら検証することで、紛争の実態にそった判断がされるようになることも、期待されます。
 この2つのポイントを整理しましょう。
 Yが管理責任を最初から認めることには、争点を減らしたり、審理対象を減らすような効果は、思ったほどありません。しかし、審理の内容を充実させる効果が期待できるように思われるのです。

2.従業員側の過失

 次に注目されるポイントは、過失相殺です。
 それは、結果的に裁判所は死亡した従業員側の過失を一切認めず、過失相殺を否定したからです。
 そのパターンの1つは、事実認定自体が厳しいものです。例えば、上司が、死亡した従業員が仕事に慣れてきた状況を見極めて少しずつ仕事のレベルを上げていった点や、その従業員が配属される前に2人で処理していた業務を3人で処理するようになった点などについては、事実として指摘するものの、X側の過失に際し全く考慮していません。むしろ、病院勤務開始半年後でも軽度の仕事をさせていた点について、難易度の低い業務であっても、相当な困難を伴う、と評価しており、まるで、半年間は軽度の仕事ですら与えられないかのような言い方です。
 また、当該従業員が効率的でない業務を行えていなかった事実も、X側の過失としては全く考慮せず、全てを、それに対する配慮のなかったY側の過失としています。
 このように、両当事者の過失の程度を評価すべき場面で、一方側の過失の有無だけを認定するかのような判断をしており、Y側としては、非常に厳しく感じる判断です。
 2つ目のパターンは、X側の過失を認定すること自体、会社側の責任転嫁であり、過失相殺は認められない、とする認定です。
 例えば、Y側は当該従業員自身の健康管理不足を主張していますが、この点は、そのようなことを言える状況でなかったとして過失相殺を否定しています。また、当該従業員が学生時代から取り組んできたライフル競技で、必要な免許が失効したり、予選落ちして国体に参加できなかったりしたことも、過失相殺の対象外としています。
 けれども、私的な要因は、労災認定での業務起因性の判断でも考慮されるべき事情であり、それが過失相殺の場合に考慮されないのは、明らかにバランスを失します。
 このように見ると、2つ目のパターンでは、Y側の管理責任が重い場合には、過失相殺を認めること自体が許されない、という評価が背景にあるようにも見えます。もちろん、本当にそうなのであれば、最初から過失相殺すること自体を一切否定してしまえば良いのですが、そうはせずに、しかし個別の事情ごとに、Y側の過失の重大さを背景にX側の事情による過失相殺を否定しています。
 この2つのパターンについての判断を整理しましょう。
 裁判所は、個別論点ごとに、Y側の管理状況と、当該従業員の状況を比較する形をとっていますが、Y側の管理責任が重いことから、結局、X側の事情を一切考慮しないこととなりました。

3.実務上のポイント

 裁判所の判断の中には、Y側の管理状況が悪いのだから、X側の事情を考慮すること自体が公正でない、という趣旨の表現が見受けられます。
 たしかに、故意による不法行為の場合に、過失相殺を認めるべきでないとする裁判例も見受けられますが、ここでは、過失による場合にも同様の判断を行ったように評価できます。
 しかし、冒頭部分で指摘したとおり、会社側の過失が非常に軽微な事案であっても、つまり従業員側の過失がたとえ8割や9割であっても、「損失の公正な配分」の名の下に会社側の過失が考慮されるのに対し、この事案では、Y側の管理責任が重いとは言え、故意に基づく不法行為とは評価できない事案であって、X側の事情として考慮すべき問題がいくつかあるのに、それが「損失の公正な配分」の名の下に全く考慮されていません。
 「損失の公正な配分」は、会社側と従業員側で意味が異なる、ということなのでしょうか。

※ JILAの研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
 その中から、特に気になる判例について、コメントします。

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芦原 一郎
芦原 一郎
弁護士法人キャスト パートナー弁護士/NY州弁護士/証券アナリスト 東弁労働法委員会副委員長/JILA(日本組織内弁護士協会)理事 JILA芦原ゼミ、JILA労働判例ゼミ、社労士向け「芦原労判ゼミ」主宰
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