0.事案の概要
この裁判例は、建築人材派遣事業等を目的とする会社の代表取締役だったYが、この事業をXに事業譲渡し、Xの「建築事業本部長」として「業務委託契約」を毎年締結していたところ、同様の事業を行うZ社の取締役副社長に就任し、そこでの事業の経過をXに報告しなかったことなどを理由に「業務委託契約」が解消された事案に対する判断を示しています。
ここでは、XY相互に損害賠償請求などを求めているのですが、裁判所は、XのYに対する損害賠償請求の一部を認容しています。実務上のポイントとして特に注目している点が1点あります。
1.同質説と異質説
XのYに対する請求の根拠は、Yによる競業避止義務違反です。
Xにとって、Yがライバル会社で働く(しかも副社長)ことが不愉快であることは間違いありません。実際、Zが大きな仕事を獲得したのに、Xに分け前をくれるどころか、事前の報告や相談すらなかった、何のためにYに高い給料を毎月支払っていたのか、という不満が最後の引き金となりました。
さて、競業避止義務は、一体だれが負うのでしょうか。
特に、最近は副業を推奨する企業も現れている現状で、会社の機密に接することもないような、権限も責任も小さい従業員まで全て競業避止義務を負うことになる、というのは、ルールとしてみて行き過ぎな気もします。他方、極端な例として、会社の社長が、こっそりと第二会社を自分のためだけに作って、第一会社の仕事を全て横取りすることは、さすがに酷いと誰でも思うでしょう。
ところで、競業避止義務を中心とした「受託者義務」「忠実義務」について、一般の従業員が負う「善管注意義務」(敢えて言うと、言われたことはちゃんとやる義務)と同質である、と見る「同質説」と、「善管注意義務」とは異質である、と見る「異質説」があります。
したがって、理論だけで原則論を言えば、「同質説」の場合、全従業員が競業避止義務を負うはずです。
「異質説」の場合、役員だけが競業避止義務を負うはずです。
もちろん、個別に同意すれば、例外扱いできますから、「同質説」でも一部従業員の競業避止義務を免除できますし、「異質説」でも一部従業員に競業避止義務を約束してもらうことができます。
少し、理屈っぽいお勉強から始まりました。
2.当裁判例の枠組み
この裁判例は、どうやら「異質説」を前提にしています。
それは、以下のような判断枠組みから明らかです。
① まず、Yが「労働者」ではない、と認定しています。
Yは、指揮命令を受けておらず、かなり裁量に基づいて自由に活動していた点がポイントです。
② Yは取締役ではない(したがって、会社法の競業避止義務が直接適用されない)ものの、それと同じような権限や責任がある、と認定しています。
つまり、本来は役員だけが負う競業避止義務(異質説)を、この事案では特別例外的にYにも認めてしまおう、なぜなら実質的に見てYは役員と同じだから、という理屈です。
3.実務上のポイント
古い裁判例には、従業員であれば当然競業避止義務を負うことを前提にしている、と評価されている裁判例が見受けられます。同質説的な判断枠組みと評価できるでしょう。このことから、従業員は当然に競業避止義務を負う、それが当然だ、と思い込んでいる人がいます(労働判例の解説も、このような思い込みを前提にしています)。
けれども、この裁判例は、異質説的な観点から、従来の常識(労働法関係者の間での常識)と明らかに異なる判断枠組みを示しています。もしかしたら、従前の裁判例を同質説的に理解していた実務家が、評価を誤っていたのかもしれませんから、従前の裁判例を今一度確認する必要があるかもしれません。
また、実務上重要なのは、特に「副業」が世間的に許容されてきた現状も考慮すれば、従業員は当然に競業避止義務を負うと考えるのではなく、競業避止義務を負わせる場合には、就業規則や採用の際の通知・契約の中で、競業避止義務のことを特に明記する必要があるかもしれません。
さらに、理屈の部分に関して言えば、この裁判例は、本来は会社法上の論点とされる「同質説対異質説」について、異質説の立場を採用した裁判例と位置付けることが可能かもしれません。
地味ですが、今後、意外と重要な裁判例になるかもしれません。
※ JILAの研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
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